そのむかし、まだネット証券で株やFX取引が出来ないころ、大学生はパチンコやパチスロで稼いでいました。
いまでは若い人(大学生)は圧倒的にパチスロが多いですが、当時はパチンコ全盛だったので、パチスロの設置台数自体が少なかったです。
店舗によってまちまちですが感覚的には10:1ぐらいでパチンコのほうが多かったです。
スロット専門店もなかったですね。
はじめてスロット専門店を知ったのが新宿のグリーンピースで、それもパチンコ雑誌の記事だったと思います。
新宿にはグリーンピースというスロット専門店があるらしいというのはけっこう衝撃的でした。
わざわざ新宿まで足を運んで、南口の店舗にもいきました。
そのときはまだ新宿高島屋もありませんでした。
たしか南口の周辺には当時流行っていた払い下げの貨物列車を改造したカラオケボックスが点在していたように思います。
グリンピースで初めて打ったパチスロはスーパーバニーガールでした。
朝イチのモーニング狙いでかなり通いましたが、スーパーバニーガールとダイバーズあたりで稼いでいる期間が長かったです。
グリンピースの無料ヤクルトっていつの間にか無くなりましたよね笑
一節にはホームレスが大量に持ち帰っているのを嫌ったとか、。
でも真夏の無料ヤクルト、サイコーに美味しかったです。
パチンコの入口はハネモノで自動打ちの時代です。
手打ちのパチンコというのは正直、ゲームセンターでしか見たことがないです。
大学生の頃に知り合ったパチプロのおじさんには手打ちの頃からやっている人もたくさんいましたが、生き残っている人たちはやはりクギ読みがうまかったです。
彼らパチプロにクギ読みを教えてもらったといっても過言ではないです。
クギを読むのはパチンコの勝敗を決める大事な要因です。
ハネモノは2.5円交換4000発打ち止めか、2.5円交換3000発打ち止めの店が多かったです。
前者なら2回打ち止めに出来れば2万円ですから、大学生の稼ぎとしては悪くなかったです。
もちろん投資もそれなりにかかったので2回打ち止めにして1万5千円も儲かれば善戦したといえました。
ハネモノは大負けすることはあまりなく良い台をつかめばコツコツと勝てるような感じでした。
月に30万円も勝てれば、大勝利でした。
ネットの掲示板でパチプロは20世紀のノスタルジィーだというテキストを見かけ事がありますが、たしかに簡単に勝てた時代は、20世紀で終わったのかもしれないです。
わたしも大学卒業して就職からもずっとパチンコで稼いでいましたが、21世紀になると稼働時間が徐々に減っていきました。
理由は体力的なものもありましたが、やはりインターネットの普及が大きかったと思います。
特に売買手数料の少ないネット証券の誕生が大きかったです。
勝ち難くなったパチンコ、パチスロから株やFXのデイトレに流れたパチプロはたくさんいます。
特に若いパチプロほど多かったです。
この話はつづきの話は別の機会に書きたいと思います。
ご愛読ありがとうございました。
関連記事