FXに流れ着いた理由

わたしの投資歴(パチンコ編)

わたしの投資歴は学生時代のパチンコから始まります。

当時のパチンコは努力さえすれば、まだ誰でも勝てる環境でした。

主に打っていたのは、ハネモノとデジパチです。

当時はカードでプレイするCR機のようなものはまだ無くて、すべて100円玉か500円玉を台サンドに入れて、パチンコ玉を購入していました。

そして自分の手でパチンコ玉をつかんで、お皿に投入していました。

いわゆる現金機の時代です。

いや、懐かしいですねぇw

わたしより前の世代では、手打ちのパチンコ台もあったのですが、現役で稼働しているのは、ゲーセンぐらいしか見たことです。

パチンコは打ち始めて、最初の半年は負けました。

大学1年生の春から打ち始めて、秋までの期間は金額的には大したことはないですが、本当に趣味の延長線上で打っていましたね。

パチンコで勝つのがうれしいという感覚で打っていたように思います。

夏休みに友人がかなり金額をパチンコで勝ったのを聞いて、真剣に勉強と実戦を繰り返す中で、パチンコに関してはセミプロ級まで上達しました。

パチスロのモーニング狙いとか開放台とか新装開店とか、本当に勝てる要素がたくさんある良い時代でした。

パチンコ雑誌に掲載されている機種別のボーダーラインに従って丁寧にホールを探せば、期待日当3万円ぐらいの台はゴロゴロありました。

最近はほぼ等価交換のパチンコ屋が増えましたが、当時は2.5円交換の店が主流でした。

換金率が低ければ、持ち玉で打つメリットは大きくなるので、収支が期待できる台を見つけて、とにかく長く打つように心がけていました。

開店時間の午前10時から打ち始めて、閉店の午後11時の少し前まで打つ日もよくありましたね。

パチンコやパチスロには13時間バトルという言葉がありますが、長期の休みになるとまさにひとりで日々13時間バトルをやっているようなものでした。

勝てる台を置いてくれている店も多かったです。

だから大学生をやりながらのセミプロでもパチンコで勝てました。

パチンコでの勝敗を意識して打ち始めた大学2年生からは、すべて勝敗データを残していますが、10年足らずのセミプロ人生で、0.5億り人ぐらいの成績は残せました。

大学生と社会人をやりつつ年平均で500万円超の成績を残していたので、まあたとえ専業になっても食べられましたね。

パチンコの良い時代が続いていれば・・・。

やり切った感はありましたね。

いや、面白かった。

パチンコの環境が良かった当時でも、パチンコなんて10人に9人は負けていたんだと思います。

その10人に1人の勝ち組で、

年間500万円勝てていたのはさらに10人に1人ぐらいだったのではないかと思います。

つまり100人に1人ぐらいのところまではなんとか辿り着けていたように思います。

もちろん年収1000万円オーバーのパチプロもいましたよ。

でもそういう人たちは、年間360日稼働で毎日12時間ぐらいは打っているような人たちです。

とてもマネできませんでしたww

ではなぜパチプロにならなかったのか?

答えはふたつあります。

ひとつは、パチプロでは専門性を活かした仕事が出来ないからです。

いちおう、理系の修士課程までは勉強をしていたので、自分の専門分野をもっと掘っておカネを稼ぎたいという気持ちがありました。

パチプロの人たちにも、きみは若いのだから、こんな業界にくることないよ、おじさんになってからでも、いつでもできるから、と何度も言われていましたね。

もうひとつは、パチンコに対する情熱が周りのパチプロほど強くなかったということです。

わたしの周りの、パチプロの人たちのパチンコに対する情熱は並々ならぬものがありました。

みんな本当にパチンコが好きでした。

毎日、朝の並びから始まって、昼食、トイレ休憩、小休憩、夕食、景品交換所の並びと、パチプロ同士で何度も顔を合わせることはありますが、常にパチンコの話をしている人もけっこういました。

隣り同士で並んでパチンコを打つことになった日はとにかく疲れましたねw

もちろん会話から吸収させてもらうことも多かったので、まるまる無駄だったとは思っていません。

わたしはパチンコで勝つセオリー通りに立ち回るので、勝ちを重ねることは出来ましたが、ではパチンコが好きかと問われると、周りにパチンコが大好きな人たちがたくさんいたので、本当に好きとはとても答えられませんでした。

その熱量の差を感じてしまい、専業プロになる気にはなれなかったです。

他にもパチンコを取り巻く環境の変化などもあって、社会人になって数年でパチプロ稼業はやめてしまいました。

パチンコを打つ最後の日も、これでパチンコをやめようとか、そんなことはまったく考えていませんでした。

普通に朝から夜まで1台のパチンコ台を打ち切って、景品交換所で数万円の勝ち分を手にして帰宅して、お風呂に入っていると突然、今日でパチンコをやめようかなという考えが頭に浮かび、それでやめてしまいました。

実に簡単なお別れです。

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わたしの投資歴(ネット証券編)

パチンコをやめてしばらくして、ネット証券という存在を知りました。

インターネットで株が売買できるというのは画期的でした。

当時は、株って○○証券の○○支店に、500万円ぐらいおカネをもっていかないと取引できないものだと思っていました。

実際、学生時代に友人が3倍投資という手法でかなり利益を上げていたので、

株は儲かるもの、という認識を持っていました。

しかし実際に口座開設して、取引してみると、そうそう勝てるものではないという結論に至りました。

理由は簡単です。

短期売買では、取引手数料負けしてしまうのです。

純粋に、買値と売値の計算だけならプラスになっていても、

証券会社に手数料を払うとマイナスになってしまうような取引が多くて、

これはやってられないなぁ、という印象でした。

1日頑張っても3,000円以下の利益という日が多かったです。

まだネット証券黎明期だったので、いまよりも取引手数料も高かったですし、わたしの投入資金も中途半端でした。

マネックス証券やその他のネット証券を並行して使っていましたが、投資資産が増えるということはあまりなかったですね。

取引手数料はたくさん支払いましたがw

長期投資で儲けるという考え方もなかったです。

パチンコでは必勝パターンを確立できたので、株でもなんとかなるはずだとかなり足掻きました。

いま思えば、この頃のわたしに足りていない知識は【変動幅 】なんですよね。

変動幅 】が少ない銘柄にエントリーしても勝ちにくいという考え方がほぼありませんでした。

特にデイトレだと【変動幅 】は生命線だといっても良いですね。

でも、わたしは知らなかったw

もちろんぼんやりとは感じていました。

値動きの少ないときは勝ちにくいなぁ、と。

でもパチンコみたいに理論的に勝てるというところまでは辿り着けずに、塩漬けにした銘柄がかなりの額ありました。

株式投資関連の書籍はかなり読みましたが、実際に株式投資で稼いでいる人は知り合いがあまりいませんでしたね。

パチンコのときは専業パチプロに知り合いがたくさんいたので、生の声を聞けていたのが、やはり大きかったのだと思います。

わたしの投資歴(不動産編)

父親は勤め人でしたが、不動産畑の人間でした。

母親の実家は家業を畳んだ後、アパートや駐車場の経営で食べていました。

そして兄も2回目の転職で財閥系の不動産会社に入りました。

そんな環境で育ったので、人よりも不動産には多少なりとも詳しかったです。

30歳手前で投資用マンションをキャッシュで購入しました。

価格は3300万円でした。

築8年の中古マンションでしたが、家賃が15万ずつ入ってくるので、まあいいかなという感覚でした。

実家のアパートの管理をしている不動産屋からの勧めでした。

雑務が実家に丸投げ出来たので、とても楽でした。

資金はほぼパチンコで勝ったおカネですw

社会人になってからは勤め人とパチンコでダブルワークみたいなものでしたから、とにかくお金は溜まりましたね。

働いているか、パチンコを打っているか、寝ているか、という感じだったので、テレビも観ている暇はありません。

この頃にデビューしていて活躍していた芸能人の名前はほぼ知りませんでしたww

いまならば不動産投資にも様々なサービスがあるので、是非調べてみてくださいね。

わたしの投資歴(デイトレ編)

デイトレ向きの環境は、ネット証券の手数料が下がったことによって生まれました。

この頃になると、デイトレーダーという言葉もよく耳にするようになりました。

取引時間前に、株式のネット掲示板も参考にしていました。

まだSNSの前の時代の話です。

ネット掲示板からも多くのスタートレーダーが誕生しました。

いまでもメディアで見かける人もいれば、もはや伝説の域に達している人もいます。

数十億円、数百億円クラスで利益を上げているような人は、本当にネットが生んだ個人投資家といっても過言ではないと思います。

デイトレで勝てようになったのは、ある良書との出会いです。

わたしの投資歴(FX編)

制作中

わたしの投資歴(仮想通貨編)

制作中

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旅の絵本 安野光雅【感想】

旅の絵本はとても面白い絵本です。

お勧めです。

わたしは4歳児(男の子)とこの絵本で盛り上がっています!

毎晩とは言いませんが、最低でも週一では遊んでいますね。

そう、旅の絵本の遊べる絵本です!

もちろんひとりでも遊べますが、子どもと遊ぶと盛り上がりますよ!

子どもの瞬発力にびっくりすることもしばしば。

旅の絵本は見るたびに新しい発見があるので、なかなか飽きないです。

安野 光雅の絵は素朴で素敵です。

故郷の島根県の津和野に原風景があるのでしょうか。

西洋風なのに、なぜか和を感じ、とても親しみがわきますよ。

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ブルーオーシャンの見つけ方【実践】

シーラカンス

ブルーオーシャンが見つからない!

なんて悩んでいる人も多いと思います。

たしかにそう簡単にはブルーオーシャンは手に入らないですよ。

なにしろブルーオーシャンは大きな富を生むので、みんなノドから手が出る欲しいのです。

それゆえに競争率も高いです。

だって、働く時間が激減して、収入が激増します。

みんな欲しいですよね。

でもブルーオーシャンを手に入れることは不可能ではありません。

今回はそのコツについて書いてみたいと思います。

新しいプラットホームをおさえにいく!

これはとても大事ですよ。

とにかく新しいものに乗っかるんです。

既存のモノは出来上がっているので、たとえパイが大きくても新規参入組はシェアは獲りにくいですよね。

だから新しいプラットホームを狙うのです。

もちろんプラットホームが育たない可能性はありますよ。

成功するよりも失敗するほうが普通ですw

でもそんな些細なことを気にしている場合ではないです。

とにかくスピードと手数が大事です。

そして無理そうならば撤退する勇気も必要です。

別に新しいプラットホームでなくても別に良いんですよ。

新しい商品が発売されたら、それ自体かその周辺や関連商品で、ビジネスが出来ないか考える。

ただそれだけです。

これでいちおう、ブルーオーシャンは手に入ります。

でもこうやって手に入れたブルーオーシャンの先行者利益なんてすぐに無くなってしまいますよ。

儲かることがわかればすぐに他者にマネされまくります。

厳しいですが、それが現実です。

では、どうすれは良いのか?

それはオリジナルを生み出す努力をすることです。

オリジナルを作りる力を一旦得れば、他者の追随を撥ね退けますよ。

こういったブログも似たような内容のブログが多いですが、たくさん読まれているものはやはり作家性みたいなものを感じますね。

つまり、

作家性=オリジナル

ということです。(少しらんぼうですがw)

わたしもまだ完璧なブルーオーシャンは手に入れていないですが、いつの日かオリジナルの力でブルーオーシャンを手に入れたいと考えています。

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