新国立競技場 オリンピック 国立競技場の思い出 2020

都民となってずいぶんと経つがこんなにそわそわした東京は初めてだ。

まずは豊洲の問題が落ち着かない。

いくら話し合ったところで食の安全など担保できるわけないのに、だらだらと話し合いが続いている印象だ。

本当に食の安全を求めるならば、技術が確立されるまですべてを棚上げにするしかないのではないか?

そもそも海産物は何処まで食の安全が担保できているのだろうか?

そんなことを考える。

 

新国立競技場は、国立競技場という東京オリンピック1964のレガシーを取り壊して建てられているので、またすぐになんらかの理由で取り壊される可能性をはらんでいる。

国立競技場が取り壊されたことによって、あの場所にあった小さなコミュニティがたくさん破壊されたことを覚えておいてほしい。

まさに国立競技場という存在が歳月を重ねたことによって形成されていたスポーツ文化のコミュニティたちだった。

たとえば明治公園にはダンスのコミュニティがあった。

体操や太極拳をする集まりもあった。

たとえば国立競技場内のフィットネスクラブは多くの常連たちで賑わっていた。

国立競技場の周りを走るジョッガーたちの集まりもあった。

そのすべてがいまではすっかりと姿を消し、大量のトラックが慌ただしく行き交っている。

新しいことには犠牲は必要なのかもしれないが、失ったものは少なくないと感じている。

 

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豊洲移転問題を考える。

いまさら豊洲移転は中止します、とはなかなか言えないだろう、と思いつつ、どこかで青島幸雄知事時代の都市博とだぶって考える人もいるのではないでしょうか?

わたしならばやはり移転はしないですね。

築地というのは大きなブランドで、それが豊洲になってしまうともう築地の魚ではなくなってしまうので、正直売るほうはしんどいです。

豊洲ってタワーマンションとフットサルコートとララポートのイメージしかないですよ。

築地はやはり銀座の隣にあるからこれまで市場としてやってこれたという面もあります。

銀座は日本でいちばん高値でモノが売れる街です。

観光客も銀座をぶらぶらしたいという人が大変多いです。

街の大きさでいえば新宿もそれなりに大きいですが、やはり銀座のほうが隣り合った街の魅力もプラスされるので、観光向きです。

新宿は歌舞伎町、ゴールデン街、新宿御苑、都庁を含めた副都心という観光スポットはありますが、朝から歩くにはちょっと狭いです。

午後3時頃から行って、夜を楽しむ街といえるかもしれないです。

銀座は早い時間に築地に行って見学・食事をしてから、銀座の街に出れば、夜まで遊べる街です。

そして夜もまたとても魅力的な街です。

 

豊洲の箱モノを有効活用する納税者である都民が納得できる案があれば、やはり築地市場にはいまの場所にあってほしいなと、いち都民であるわたしは考えています。

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司法試験の効率的な合格方法・・・。

法科大学院の閉鎖が続いている。

司法試験の合格率の悪い法科大学院から順番にという流れになっていると思う。

やはり制度に無理があったのだ。

合格者を増やし過ぎたし、法科大学院も増やし過ぎた。

 

わたしの世代は旧試験で択一、論文、面接を潜り抜けて、大学卒業と同時に司法修習所へという同級生が何人かいた。

わたしは法学部ではなかったので、司法試験を受けようとも思わなかったが、

たとえば早稲田大学ならば法学部の学生だけでなく、政治経済学部の学生も司法試験を受けている同級生が何人もいた。

当時の早稲田の政経は、私立ではおそらく日本でいちばん優秀な頭脳が集まっていたと思う。

友人のNは政経出身で大学を1年留年して、司法試験に受かった。

4年生で司法試験を記念受験のつもりで受けたら択一を突破して、これはいけると思ったらしい。

そしてわざと留年して翌年に合格した。

彼の勉強方法は実にシンプルだった。

現役で合格した友人の司法試験関連の教材を一式譲り受けて、あとはひたすら大学の図書館でこもって勉強するだけだった。

たまに模試を受けて、成果を確認して、あとはまたひたすら勉強していた。

わたしは彼が司法試験浪人しているとき、大学院生になっていたので、たまに大学近くで食事をしたが、そのたびに自分の勉強の進度をわたしに報告してくれていたが、分野違いなので、いまいちよくわからなかった。

お互いカネはなかったが、学習意欲だけはかなり高かったと思う。

そんな彼が最近はたまにメディアに出るようになって、見かけるといまはあの頃をとても懐かしく思う。

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